お金の使い方がわからない? なら「サドベリー」を見に行こう!
「お金の使い方、教えてもらおうか」
「止めろ、銃なんて使うことないだろ? 話し合えばきっとわかる……止めろ、止めてくれええええ!――」
お金の使い方がわからないから、誰かを脅迫して教えてもらおうとした経験が皆さん一度はあるでしょう。
しかし、もう貴方の手を汚す必要はありません。
今回は、お金を『自由な学びが見えてきた』に使ってみることを提案しようと思います。
では目次です。
- 【お金の使い方がわからないなら本を読もう!】
- 【何故お金を使う価値があるのか?】
- 【自由な学びが見えてきた――本の紹介】
- 【文章や文体】
- 【感想】
- 【自由な学びに関する記事】
- 【紹介したものまとめ】
- 【自分の雑記】
【お金の使い方がわからないなら本を読もう!】
お金の使い方は人によって様々ですよね。
ファッションに使っている人もいれば、ペットに使っている人もいて。
ゲームに使う人もいれば、プラモデルに使う人もいる。
様々な候補がありますが、その中でも、お金の使い方がわからない人におすすめしたいのは、本を読むことです。
内容にさえ興味があれば、本は結構読み進めることができるものです。
しかも、読むと新しい考えが手に入り、視野が広がります。
視野が広がれば、さらにお金を使いたい分野が見えてきて、お金の使い方がわからない状態からの脱出に繋がります。
なのでお金の使い方がわからない皆さんが、興味を持てる本を紹介できるよう頑張るので、よろしくお願いします!
【何故お金を使う価値があるのか?】
新しい時代の教育の形を、これでもかというぐらい示してくれているからです。
しかも、著者の方はここで紹介している教育モデルを実際に行っています。
だからこそ、批評家では絶対に出せない説得力を持って響いてきます。
新時代の教育がどうあるべきなのか、ちょっとでも疑問に思ったことがある人は、ぜひ読んでみるといいと思います!
また、お金の使い方がわからない人には、趣味に打ち込んだ経験がない人もいると思います。
ただ、この本で述べられている教育を受けていれば、そんなことにはならなかっただろうな、と力強く確信できます。
子供のやりたい! という気持ちを、とことん伸ばすタイプの教育なので。
とにかく、お金の使い方がわからないという人、夢中になれるものを探している人も、この本を読んでみるべきです!
【自由な学びが見えてきた――本の紹介】
自由な学びと聞いて、皆さんは何を連想するでしょうか?
机について自由に勉強することができるという学び?
それとも、自由な科目を選んで勉強できる学びの時間の事でしょうか?
あるいは、もっと別の何かかもしれません。
では、この本の中で言われている自由な学びとは何か?
それは、「子供たちが、自分自身のしたいことができ、その状況を守る権利もある学び」でした。
この学びの中では、子供たちは自由に遊びまわっています。
それがしたいことだからです。
ただ、遊んでいるだけでは秩序が保てない、ということは想像がつきます。
自由にしたいことをしていいからと言って、窓ガラスを割ったりするのは駄目です。
割れたガラスのせいで、安全で快適な「自分自身のしたいことができる」環境は破壊されてしまいます。
そんなことをした人は、現実世界では裁かれます。
なので彼らも「風紀委員」が設置し、裁判のようなシステムで、その子の罪を決定します。
他にも、自分がしたいことがあれば、「全校集会」でそれを述べることができます。
多くの子の賛成を集めることができれば、実際にそれは実現されます。
そのような環境を整備している「サドベリーバレースクール」という学校があります。
この本は、その学校の校長先生である、ダニエル・グリーンバーグ先生が書いたものです。
約40年に渡る学校運営の経験から深まってきた、「自由な学び」に関する知見を、余すことなく書いています。
卒業生への追跡調査も行っており、サドベリーで行われた教育が子供たちにどのような影響を与えたのか、についても言及しています。
新しい時代に適した、自由な学びとは一体何か?
そのコンセプトとはいったいどういうものなのか?
サドベリー教育という、新しい教育の形に関するエッセンスがすべて濃縮されて詰まっている、素晴らしい本です。
ぜひご一読ください。
【文章や文体】
これはダニエル先生が講和という形で喋った時の内容を、そのまま文章に書き起こしたものです。
そのため、語り口調で親しみやすい文章になっています。
全般的に気持ちが乗っていて面白い文章です。
ただ、章によっては、サドベリースクール内で用いられる用語が入ってくるため、若干抽象度の高いパートもあります。
その辺は「感想」でわかりやすく言い換えて説明しているので、そちらを参照してもらえれば大丈夫かなと思います。
【感想】
お金の使い方がわからない人が興味を示せるよう、この本の感想を書き綴ってみようと思います。
感想ではこのような事を書きます。
[遊びと技術革新は同じ!?]
[主成分としての会話]
[その他の項目ご紹介]
[遊びと技術革新は同じ!?]
まずこの本の中で面白いのは「遊び」とは何か? を追及したところです。
サドベリースクールにおいて、遊びは「活動における、いまだ決定されざる部分」と定義されています。
いきなり凶悪にわかりづらいフレーズですよね笑
要するに、「活動の中で、自分がまだやったことがない領域」の事だと思います。
例えば「スマートフォンを操作する活動」を考えてみましょう。
スマートフォンを片手に持つ。
この「持つ」という部分は、誰もがやったことのある領域だったでしょう。
しかし、スマートフォンが世界に出るその前、誰も「手でフリックする」という領域を味わったことはありませんでした。
この「フリックする」という領域は、世界でスティーブジョブズが最初に、いや、ひょっとすると、組み立てラインでスマホを組み立てた人が最初にやったかもしれません。
それまで「手でフリックする」という領域は「遊び」だったんです。
それが今では日常的に行えるようになり、その領域は多くの人がやるようになった。
もう「決定されてしまった」んです。
年齢が低い子供であればあるほど、「活動の中で、自分がまだやったことがない領域」だらけです。
だからそこには、数多くの遊びがある。
このようにサドベリー教育では「遊び」を定義しています。
ここまでで遊びを明確に定義してみましたが、ダニエル先生はもう一歩理論を進めます。
技術革新(イノベーション)と遊びは似ている、というのです。
いうなれば、スマートフォンの開発といった技術革新と遊びは似ている、と。
何故イノベーションと遊びは似ているのか?
この詳細は、ここで触れるのは止めておきましょう……。
ネタバレしてしまっては、この本を読んだ時のワクワクが薄れますからね!
その点が知りたければ、『自由な学びが見えてきた』を読んでみてください。
[主成分としての会話]
この本の2章は主成分としての会話という項目です。
ここはサドベリースクールの中で用いられる用語がよく飛び出してきて、少しわかりづらい部分です。
ただ、非常に面白いパートなので、わかりやすい言葉に変えて解説を書いておこうと思います。
サドベリー教育で会話は非常に重要な地位を占めます。
なぜなら、会話というのは世界の認識のために絶対に必須だからです。
ではサドベリー教育の中における会話というものがいったいなんなのか、理解しに行きましょう。
会話というのは、大雑把にいうと、個人の感じていることを外に言うことです。
そう考えれば、「個人の考えていること」を理解しなければ、会話のことも理解できないことになります。
そして、サドベリー教育では「個人の考えていること」を理解しやすくするために、以下のワードを用いています。
「現実モデル」……その人が見ている世界のイメージのことです。
例えば、自分が知らなかった世界の話を聞いた時、「おおっ」となりますよね?
そういう時、「世界が広がった」みたいな表現をすると思います。
世界が広がった、というのはつまり、「今まで思っていた世界の外側に、新しい世界があることに気付いた」という意味合いのはずです。
この「世界」という言葉が「現実モデル」の表すところです。
自分自身で理解している世界の様子。
それが「現実モデル」です。
「相互作用のモード(様式)」……周りの環境を認識したり、影響を与えたりする様式のことです。
周りの環境に影響を与えたりする方法だとか、そういうものだと思ってもらえればいいです。
そしてこの方法は、上の現実モデルと同様に、個人ごとに異なります。
というか、現実モデルが違うからこそ、相互作用のモードも違うんだと思います。
現実モデルが違うAさんとBさんを考えてみます。
Aさんが「魚っておいしい」という現実モデルを持っているとします。
そのAさんは買い物に行ったら魚を買う、という形で周りの環境に影響を与えます。
Bさんが「肉がうまい」という現実モデルを持っていたら、恐らくBさんは肉を買うでしょう。
このように、現実モデルが違うと、必然的に「相互作用のモード(様式)」も変わってきます。
そしてこの二つの概念を組み合わせたものが「モードル」です。
ここで、会話が飛び出してきます。
会話は、相手のモードルを理解するために非常に重要な存在なのです。
チャットをするにせよ、会話をするにせよ、それは相手が世界をどうやって認識しているのか、相手の現実モデルを理解するための行為なのです。
目の前に椅子があったとします。
Aはそれを「椅子」と言いますが、Bは「腰掛」と表現します。
ここでお互いは、相手のモードルを理解します。
Bは「Aはこれの事を椅子と呼び、認識しているのか」といったように。
こうやって、互いのモードルを理解するためには、必ず会話が必要になります。
この「相手を理解するための会話」をする能力が、サドベリー教育では非常に鍛えられる、とダニエル先生は言っています。
当然ですよね、学校ではせいぜい休憩時間の15分ぐらいしか話せません。
でも、サドベリースクールにおいては、会話を無制限に行うことができます。
そのため、かけた時間の分だけ、相手のモードルを理解する能力が高まり、その子にとってプラスになる、と主張しているのです。
[その他の項目ご紹介]
『自由な学びが見えてきた』には他にも興味深い内容が書いてあります。
章の紹介をすると、
第3章 親の役割とは?
第4章 デモクラシー・モデルの重要性
第5章 その子に固有の運命を育む
第6章 サドベリーが全員のためのものではない理由
という感じです。
親の役割といった部分や、デモクラシー・モデルの重要性の部分は、今までの教育論とは違った立場をとっているので、面白いのではないかなと思います。
【自由な学びに関する記事】
サドベリー教育に関する記事はあまり知らないので消しておきます。
ただ、上の本や、『世界一素敵な学校』という本を読めば、ダニエル先生の考え方などはだいぶわかります。
【紹介したものまとめ】
お金の使い方がわからない人に向けて、今回紹介したのは『自由な学びが見えてきた』という本です。
この本はサドベリー教育という教育法についての理論が様々に書かれていて、非常に興味深い本でした。
新しい時代の教育の在り方を考えたい人は、ぜひ読んでおきたい本です。
他にも、『世界一素敵な学校』という、同じくサドベリー教育に関する本も紹介しました。
サドベリー教育は良いポイントがたくさんあります。
一方で「我慢強さ」などに不安を感じずにはおれない教育だな、とも思う所でした。
また、お金の使い方がわからない人に、他のお金の使い方も提案しています。
ぜひご覧ください!
【自分の雑記】
[遊びに関するちょっとネガティブな意見]
この本では、遊びとイノベーションが関係あるなど、メリットが非常に大きいような説明をしています。
もちろんこの側面はあります。
自分の知らない未知の部分に立ち向かっていく、という点で遊びが大事なことは間違いないです。
ただ一方で、「遊び」と聞くと、自分自身がやりたいようにやることができる。
やりたい時間に、好きなだけ。
そういうイメージが湧きます。
一方で、仕事をしていくとなった場合、やりたい時間に好きなだけ、という訳もいかないシーンも出てくるはずです。
このような場合、自由に遊んでいる子は忍耐強さを培うことができず、将来苦労するのではないか、とも思うのです。
例えばスマートフォンを作る、という場合を考えてみましょう。
スマートフォンというアイディアはきっと誰でも思いつきます。
なので、結局その仕事は、どれだけすばやく思いついたものを実行できるか、にかかっています。
そして、より早く実現に持っていくためには、誰よりも頑張り続けてやっていかなければなりません。
「なんか今日は嫌だなー」とか思うときも、常に全力で取り組めるような忍耐がなければ「社会に出たときに困る」と思うのです。
ここが「遊び」だけでなんとかなるのだろうか?
というのが自分の大きな疑問です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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また、お金の使い方がわからない人に、他のお金の使い方も提案しています。
ぜひご覧ください!