オリンピックの光と影。影の世界は、誰も知らない、気にしない。--『オリンピックを学ぶ その2』(全3回+α?)
皆さんおはようございます、こんにちは! こんばんは?
シンクタンクMeiflが今回書くのはオリンピックの影の部分です……。
オリンピックという光があり、晴れやかな舞台には必ず影がつきものです……。
その影について、色々な部分から迫っていこうかと思います。
では目次です。
【0.オリンピズム】
オリンピックの影の部分に触れる際に、どうしても書いておかなければならないことがあります。
オリンピズム、つまりオリンピックの基本理念です。
オリンピックのすべてがこれを基にして成り立っていると言っても過言ではありません。
オリンピック憲章というものにオリンピズムについては詳しく記載されているので、ひとまずここに張り付けておきます。
ただ、異様に長いのでこの記事をよんでオリンピックに並々ならぬ興味が湧いたなら初めて読んでください笑(pdfなのでデータ通信料がヤバい人は気を付けてください!)
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2016.pdf
僕は根本原則しか読んでいないですしねー。
それを読めば、オリンピック関連で起きるすべての物事は理解できるはずだと考えたからです。
……実をいうと、現実はそう甘くなく、オリンピック関連の出来事すべてを自分なりに理解できたわけではありませんでしたが……。
僕はオリンピックの根本原則自体が一つの矛盾をはらんでいるんじゃないかという奇妙な結論に至ったので、これも影の最後の項目で書きますー。
根本原則についてはここで引用しておきます。
オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である
2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOCの最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる五輪である。
4. スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
5. スポーツが社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピック・ムーブメントのスポーツ組織は、自律の権利と義務を有する。その自律には、スポーツの規則を設け、それを管理すること、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、さらに良好な統治原則の適用を保証する責任が含まれる
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
7. オリンピック・ムーブメントの一員となるには、 オリンピック憲章の遵守およびIOCによる承認が必要である。
【1.開催地選びの影】
皆さんは現在のオリンピックの開催地が投票によって選ばれていることはご存知でしょうか?
東京が開催地として選ばれた瞬間を記録したシーンはニュースで大々的に報道されて話題になりました。
個人的には発表した方のTOKYOの発音が可愛かったのでとても好きな瞬間です笑
www.youtube.com さて、この投票ですが、誰が選んでいるか知っていますか?
――答えはIOC委員の人が選んでいます。
では、彼らは開催地を選ぶときに何を基準にしているのか?
テレビで何度も報道されていましたが、オリンピック評価委員会の意見を参考にして選んでいます。
そう、IOC委員の人が意見を参考にしながら選んでいるのです。
東京を訪れた訳でもないのに。
この影の部分を知った時僕は割と衝撃を受けましたね、なんで東京の実情を知らない人に選ばせているんですかと笑
もちろんIOC委員の人が開催地を訪問できなくなったのには理由があります。
1998年、ソルトレークシティがオリンピックを誘致しようとしていた時の事。
市がオリンピックを誘致しようともがいていたあまり、投票数確保のためにIOC委員にわいろを贈っていたことが明らかになったのです。
このつながりの発端が開催地を訪問したときに生まれたコネクションに由来していたものだったので、じゃあ訪れるのは止めておきましょう、という流れが生じ、そのまま現在に至ります。
このような不誠実な影が落ちているのは基本的に限られたメンバーだけではあるはずなのですが、実態は闇の中。
『IOC オリンピックを動かす巨大組織』で言及されているのですが、IOC委員の中でも、別に不正を働いていない人たちの中にはこの開催地訪問ができないという状況に不満を呈している人がいるようです。
僕自身はわいろという影の部分は問題にせよ、開催地訪問をしていないのはそれはそれでだいぶ大きな問題だと思うので、IOCの中で納得して話し合ってほしい物です。
【2.そのレガシーは+か、-か?】
オリンピックにおいてレガシーとは「長期にわたる、特にポジティブな影響」とIOCに定義されています。
1964年の東京での大会のレガシーはとてもよかったと思います。
matome.naver.jp 交通インフラなど、絶対に整えなければならないものに対する投資も大きく、首都高速の整備はかなりいい仕事だったんではないでしょうか。
それに何よりも大きいのは1964年は、戦後復興したんだ! という国民の心を奮い立たせる、精神面でのレガシーがあったのがとても大きいと思います。
もちろん、オリンピズムが国民に浸透していたのかと言われると、そこは少し疑問符が付くところではありますが。
それでも精神面で大きな+のレガシーをもたらしてくれたと思います。
一方で、2020年東京オリンピックのレガシーはどうでしょうか。
今回のオリンピックは環境負荷が小さいと言われています。
そしてそう言いながらも国立競技場を建設し直しする。
調べれば調べるほど、なんで取り壊したのか、どういうコンセプトで新国立競技場を建設しようとしていたのか分からない。
オリンピズムにどう寄り添って新国立競技場が作られているのかさっぱり謎。
それに一部の国民には否定的にさえ見られている始末(僕自身そうです)。
オリンピックレガシーとは? : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
もちろん否定的な意見ばかりが一般論ではないはずですし、僕自身の視点がそもそもネガティブ面に偏っているので、ネガティブな偏見がいっぱい入っていることは間違いないのですが……。
にしてもこれは影の部分が強すぎるのではないでしょうか。
ここまで否定的な意見を出されてしまう今回の東京オリンピック、はたしてそれに関わる人たちや日本の人たちには、どういう+の心のレガシーを与えてくれるんでしょうか。
そもそも与えられるんでしょうか……。
ちょっと本当に不安でいっぱいなんですけど……。
【3.経済格差=実力格差という等式】
オリンピックはプロフェッショナリズムを導入しました。
それにより、勝敗が少なからず意味を持つようになりました。
だからこそ、選手はより研鑽に励み、自己を追い詰め、成長しようとしています。
その個人の努力により勝敗はいかようにでも変わりえる。
――そんなことはないことは、あまりメディアでは触れられません。
まさしく、日陰に追いやられてしまう話題なのです。
次々と世界記録を連発して、そのあまりの性能と、世界記録を塗り替え続けてしまう異常性から使われるのが禁止されてしまいました。
しかし一方で、世界最先端のテクノロジーは当然ながら金のある先進国にしかいきわたっていませんでした。
結果的に発展途上国の人たちは彼らと同じ土俵に立つことさえ許されない、フェアプレーの欠片もない試合がそこでは繰り広げられてしまいました。
書きながら初めて気づきましたが、本当にフェアプレーとはなんだったのかという試合だったんですね……。
この情報は下記サイトで初めてゲットしました。
オリンピックのことについて実に多様な視点から書いてくれていて、しかもめちゃくちゃ簡単な文章で分かりやすいので、ぜひ読んでみるといいと思います。
サクサクと読み進めながらオリンピックについて勉強できてしまいます!
【4.ドーピング】
商業主義のもう一つの影として明るみに出たのが、フェアプレーの精神を全く守らないドーピングという概念です。
勝つことにより巨大な名誉が得られるようになり、うまく転べばスポンサーなどもついて巨額の資金が手に入れられる。
そのような環境に置かれれば、それは一瞬魔がさすとこのような手口に走ってしまう事はあり得ます。
その中でも、ロシアは特にドーピングについて色々と突っ込まれることが多い国ですが、それについて面白い記述があったので載せておきます。
jp.rbth.com よく言われている話ですが、ロシアは競技によっては国からの援助を受けながらスポーツをしているプロがいます。
そのような選手は基本的に国から湯水のように与えられる支援をそのまま受けています。
だからこそ、国側から何の通達もなくドーピング材のようなものを与えられたとしても、国の援助として使用してしまうという背景もあるという指摘が『ロシアのチャンピオンが誕生するまで』の記事にはあって非常に興味深く感じました。
さて、ここまでドーピングについて書いてきましたが、個人的には非常に気になっていることがあります。
スポーツにはどうやってもぬぐいきれない影がありますよね。
スポーツは果たして本当に平等なのか? という恐らく多くの人が感じている疑問です。
低身長と高身長で、はっきりと有利不利が決まるスポーツがあります。
遺伝子の問題によるところが大きいこれは、はたして本当に平等か?
そう、遺伝子というのはそもそも生まれながらのドーピングなのではないか?
この疑問は誰もが直面する問いだと思います。
この問いに関して、皆さんはどういう答えを持っていますか?
誰もが本当に遺伝子にも関係なくスポーツを楽しめる世界を作るためにはどうすればいいか、考えたりしましたか?
もし考えたならぜひ、僕の第4回で提示される提案と意見を戦わせてみてほしいです!
僕も面白い問いだったので考えました、スポーツを遺伝子に関わらず本当に平等にする手法を。
では、その議論は第4回で。
【5.五輪返上】
もう、何も言うまい、こういう団体があるというのが巨大な影でしょう……。
個人的には運動には結構賛成ですね、ここから書く「オリンピズムの根本原則にそもそも矛盾がないか?」という視点で捉えると、オリンピックという行事自体の存在を見直さなければいけない気がします。
【6.オリンピズムは絶対なる正義か?】
オリンピズムの1~3についてちょっと引用しなおしてみます。
オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である
2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOCの最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる五輪である。
この根本原則をさらに解体して考えると、1.はオリンピズムを定義し、2.はオリンピズムが目指すところを伝える。
3.です。
特に根拠もなくオリンピック競技大会で、オリンピック・ムーブメントが最高潮に達すると言っています。
これはおかしくないですか?
オリンピック・ムーブメントとは、僕の解釈が間違っていなければ1.2、特に2.を究極的には達成したい、その手続きとして1.の人生哲学を持つ人を増やしたい。
僕はこれこそがオリンピック・ムーブメントだと思います。
じゃあ3.って何??? という疑問しかわかなかったんですよね。
オリンピックがどうしてここまで色々な問題をはらみながら広がっていくのか。
僕は、オリンピックが持つ本当の価値や影響、オリンピズムの浸透にどれくらい寄与しているかを数値的に確かめていないから、オリンピックをどう行うべきかをオリンピズムの担い手であるはずのIOC自身が定義できず、結局開催地がセンスがないとオリンピズムを伴わない謎のイベントになってしまうのだろうと思いました。
皆さんは、このオリンピズムの根本原則を見てどう思いますか?
もし違和感を感じたなら、自分なりにどこが引っ掛かるのか考えてみるといいと思います。
この問題に関しても、第4回で提案をさせてもらうので、もし気が向いた人は見てみてください笑
実行はしないのかよ、という突っ込みはなしでお願いします、オリンピズム自体は自分めっちゃ好きで大好きですけど、別のベクトルで頑張って世界に貢献したいと思っているので笑!
では、第3回に続きます。
今度はオリンピックの光です!!
実際、オリンピックの光の部分は結構素敵だと思いますよ!