オリンピックの光と影。光の世界は、誰も知らない、でも素敵。――『オリンピックを学ぶ その3』(全3回+α)
皆さんおはようございます、こんにちは! こんばんは?
今回書くのはオリンピックの光の部分です。
前々回ではオリンピックの歴史を語り、
前回はオリンピックの影の部分を語りました。
特に前回の影の部分では、オリンピックの根本原則であるオリンピズム自体が矛盾をはらんでるんじゃないか? という奇想天外な説を展開し自分的には話題になっていま
す。自分的には。
個人的にはオリンピックについては少しネガティブよりなのですが、一方でオリンピックのそばで行われている数々の素晴らしい取り組みを見ていると、IOCの活動自体にはとても肯定的に感じられます。
なんというか、オリンピックというイベントだけがお荷物感が……。
ただ、妙な事を言っていてもしょうがないので、さっそくオリンピックがまとう神々しい光の数々を紹介していきましょう!
今回の話でもオリンピズムとオリンピック・ムーブメントについてはよく出てくるので、このページを検索で見つけて入ってきてくれた人は前回の影の記事を見てからこちらの光の記事を見るのをお勧めします。
では目次です。
- 【1.誰だろうとスポーツはできる。そう、難民でも】
- 【2.その繋がりは国を超える】
- 【3.ユースオリンピックゲームス】
- 【4.誰でもスポーツはできる。そう、貧しさをも超えて】
- 【5.オリンピズムを担う者たち】
- 【6.日本と平和】
【1.誰だろうとスポーツはできる。そう、難民でも】
リオオリンピックで初めて組織され、これから長く残っていってほしいレガシーの一つが難民選手団です。
これについては光と呼ぶべきか影と呼ぶべきか微妙なところかもしれませんね……。
難民が存在してしまうこと自体は紛れもないこの世界が抱える影の部分なので。
ただ、難民問題の根本的な解決とはならずとも、世界中の国を追われた難民の人たちに勇気を与えようと立ち上がった選手団です。
国旗には何が採用されているのかと言うと、五輪のマークなんですよね!
五輪自体が五つの大陸が繋がりあって協力していこうというメッセージを込められたマークなので、ある意味では難民選手団は一番オリンピズムを明確に背負って動いている選手団です。
この動きから何か、すぐにではないにせよ世界に対して変化がもたらされるといいなと思ってしまいますねー。
難民選手団の選手で有名なのはユスラ・マルディニ選手という方で、シリア難民の方です。
惜しくも試合でふるう事はなかったですが、それでも彼女がシリアから逃亡する時の活躍はメダルにも値するものがあります。
シリア紛争から逃れる際に、トルコからボートで別の地を目指した時があったんですが、その時にボートが緊急停止してしまいました……。
そんな時、水泳選手だった彼女は率先して海に飛び込み、なんとボートを3時間半も押して陸地にたどり着かせたんです!
メダルは取れなかったとしても、何かの賞をもらえてもおかしくない活躍ですよねー。
ぜひこれからはユスラ選手にも注目です!
【2.その繋がりは国を超える】
二つ目の光はこの写真。
恐らく近年オリンピックで撮影された中でもっともオリンピック・ムーブメントを体現している写真がこれでしょう。
国をまたいだ平和を目指すオリンピック・ムーブメントが、韓国と北朝鮮といういがみ合う二つの国の選手を繋いだ瞬間です。
この二国は今でこそ停戦状態ではあるものの、北朝鮮は社会主義国家のソ連の支援を受けながら、韓国は資本主義国家のアメリカの支援を受けながら、全く違う経済体制の中に組み込まれながら進んできたこともあり、現在もにらみ合う犬猿の仲になっています。
ただ、国家間対立が生まれていても、当の国民にまでその構図が刷り込まれているかどうかはまた別の話。
個人単位で見れば全く争う必要のない関係性を作れる人たちがいる、という光をこの写真は浮かび上がらせています。
本人たちは本当に特に気にせず写真を撮っていたため、めちゃくちゃ話題になって驚いていたようですが、国同士の関係を気にしてないというのは良いのかどうか謎ですが笑、素敵な結末に終わった自撮り写真でした。
しかし、北朝鮮に関してはもっと国民にまで閉鎖的な雰囲気というか、排他的な雰囲気が浸透しているものかと思っていたんですが、実際は違うんでしょうか?
あるいは彼女だけがピュアな心を持ち続けて外と積極的に交流しているだけなのか……。
北朝鮮の歴史についての本はいずれよもうと思っていましたが、できるだけ早くみてみたいなと思いましたねー。
【3.ユースオリンピックゲームス】
IOCはオリンピズムという人生哲学を多くの人に伝達し、それにより光ある平和な社会の実現を推進しようとしています。
ただ、実情としてその思想が人々や選手に理解されているかどうかは微妙な所があります。
現に上の北朝鮮と韓国の選手の自撮りでも、当人たちはその自撮りがオリンピックという舞台で行われることにより、どんな素晴らしい意味を持つか特に理解せずにやっていました。
そこで、若い選手に対してもっとオリンピズムとオリンピック・ムーブメントについて広げていこう、試合で争う事がオリンピックのすべてではなく、もっと大切な部分がオリンピックにはあるのだ、という事を広めていくために始まったのがユースオリンピックゲームスです。
これはオリンピックのような競技もありますが、それ以外にもオリンピズムやオリンピック・ムーブメントに関する授業もあったりします。
www.joc.or.jp これはJOCのユースオリンピックでの文化・教育プログラムについて色々な施策が載っているサイトなので、どのような事を行っているのか興味がある方はぜひご覧ください。
ただ、このプロジェクト自体はめちゃくちゃ素晴らしいものなんですが、ちょっと一個だけ『IOC オリンピックを生み出す巨大組織』を読んで感じたことがあるので小言を書いておきます笑
ユースオリンピックゲームスの項目の文章であったんですが、ちょっと引用します。
ユースオリンピックゲームスに参加したほぼ全員がこの教育プログラムを体験した。それぞれの選手たちが感じたであろう思いを、オリンピアンになるかならないかに関わらず、今後の人生にどう生かしていくのか。何年後かの結果が楽しみだ。
まあ、別段悪い所があるわけではないんですよ、もちろん笑
オリンピックの光の部分なので素晴らしいです。
この教育を受けた若者たちはきっと次のオリンピック世代を担う重要な光になってくれるでしょう。
ただ、色々とITが発展してきた世の中なので頑張って効果測定をして、このプログラムがオリンピズムやオリンピック・ムーブメントを若い選手の心の中に根付かせるのに、どれくらい役に立ったかを計測しようという視点で物事を進めるべきだと思います!!!
実際もう効果測定してたらすみません><
まあ、個人の主観によるところが大きく、しづらそうな指標なので難しいのも納得していますが、ぜひ頑張ってください!
【4.誰でもスポーツはできる。そう、貧しさをも超えて】
4つ目の光はソリダリティー事業と呼ばれているIOCの活動です。
ひょっとすると最初の難民選手団もこの事業の一環なのかもしれません。
スポーツを通じて、心身知性、すべてが優れた人を作り出すのがオリンピズムという人生哲学であり、それは貧しさなどの壁がなく行われるべきだ、というのがオリンピズムの根本原則にあります。
もちろん、前回の記事で紹介したように、貧しさが競技に影響を与えることは大いにあります。
むしろ現状ではそちらの方が多いでしょう。
しかし、その一方でIOCはその影を指をくわえて放置しているわけではありません。
それどころか、徐々にそれに対策を打とうとしています。
英語のサイトなので、最近機能が急上昇したグーグル翻訳を用いながら眺めてみてください笑
このサイトで紹介されている事例は、ハイチ共和国とザンビアにそれぞれ周りにいる子たちが貧しくてもスポーツや教育を受けられるセンターを作った、という感じです。
ハイチ共和国やザンビアってなんやねんという方は下を参照してほしいんですが、ハイチ共和国は世界初の黒人共和制国家であり、ザンビアは世界の最貧国とされる国の一つです。
どちらも今までの先進国と言われる世界から「助ける」という点において切り離されがちだった黒人や最貧国という観点に焦点を当てているあたり、IOCの援助の本気度が伝わってくる気がします。
このソリダリティー事業を行うお金はどこから出ているの? と心配になる人もいるかもしれませんが、これは心配ご無用です。
オリンピックが商業主義を導入したメリットの一つとして、大会の開催で黒字をあげられるようになったことがありますが、そこで出た黒字を用いてこの事業は行われています。
だからこそ、これからもオリンピックが開かれ続ける限り、こういう面では+のレガシーを生み出していってくれると思います。
案外、開催国の経済をどうこうなんて話より、こういうようなソリダリティーな事業を行うことができるからこそ、オリンピックは素晴らしいんだ、という捉え方の方がいいかもしれませんねー……。
とりあえず、この素晴らしい事業は今後の動向もぜひチェックしていきたいところです!
【5.オリンピズムを担う者たち】
これについてはこのサイトに非常に素晴らしい記事があるので載せておきます。
genkina-atelier.com オリンピズムの担い手たちは、常にスポーツが世界を平和にしていくことができると信じ続けてきました。
上の記事の中でもよい部分を引用しておきます。
1992年ボスニア紛争が起こると自らサラエボ入りし、オリンピッ
ク休戦を求めるという行動に出た。このことは余り注目されてい
ないが、彼が心の底に「スポーツ平和」の理念を持っていたこと
を示している。
これは以前この連載でも登場したサマランチ会長のエピソードです。
紛争の起きている地に身一つで飛び込むなど尋常な事態ではありません。
スポーツで平和を引き寄せるためにそれを行ってしまうオリンピズムの担い手を見ていると、オリンピックの明るい未来の光が見えてきてまぶしく思います。
また、こんなエピソードもありました。
ナチズムにオリンピズムはどう対応したのだろうか?ユダヤ人差
別に対して、どういう態度をとったのだろうか?時のラトール会長はドイツ組織委員会にユダヤ人迫害が行われな
いことを保証させた上で開催権を譲渡している。同年ドイツのガ
ルミュッシュ・パルテンキルヘンで開催された冬季競技大会の際
に会場に「ユダヤ人立入禁止」の看板を見つけたIOCは、ヒト
ラーに忠告した。ヒトラーは「ここはドイツです。ドイツには、
ドイツのルールがあるのです」と答えた。IOCは「オリンピッ
ク競技大会が開催される場所は少なくともその期間はドイツでは
なく、オリンピック国なのです。オリンピック国にはオリンピッ
クのルールがあります」ヒトラーは看板を下げた。
ナチス・ドイツが支配する国において、オリンピック開催期間中は「ここはオリンピック国なのです」とオリンピックのルールに従うように言う姿。
もちろんオリンピック開催中止か効果を発揮しなかったのは歴史が物語るところですが、それでもこの「オリンピック国」という思想が当時のドイツでも受け入れられたことを知ると、今の暗い世界にも少し明るい光がさしているような気がしませんか?
願わくば、地球上のすべてがオリンピック国に常時なる世界観が実現することを。
【6.日本と平和】
さて、ここまではオリンピックの光の部分でした。
この最後の章は、日本という国が、オリンピックの目指す平和について、どれほど重要な役割を担いうると自分が考えているかを書いてみます。
自分の狭い了見で恐縮ですが、日本は多くの人から平和ボケしているという非難をされますよね?
有識者も結構な頻度で口にしています。
もちろんそれはある意味では悪い事でしょう。
ただ一方で、本当の「平和」という状態を、言語化できていないにせよ概念や状態としてなんとなく理解できているのは、実は日本だけではないかという気がするんですよね。
下の記事は平和に関するとても面白い記事なのでぜひ読んでもらいたいです。
イギリスで「平和構築」という名の授業を受けた日本人の圧倒的な違和感が記述されています。
引用を持ってくると、
この平和構築という学問をイギリスで学ぶにあたって、わたしは驚きを通り越して怒りすら感じた瞬間が何度かあります。
“What are the causes of conflicts?”
という内容の授業を受けたときのことです。
授業の要旨としては、「冷戦以降の紛争のほとんどは、アフリカ・アジアを中心とするいわゆる発展途上国で起きている。以前は、彼らが生物学的に野蛮であるという主張がなされていたが、そうではなく、政治(民主主義の欠如)・経済(格差)・文化(民族間の歴史的対立)などに基づく構造的な問題のためである。」というような話でした
国家として十分に機能せずに紛争を抱えている国は、「Failing states」つまり破綻国家と呼ばれています。
いや、すごく冷静で客観的に分析していますが、イギリスの大学院でこんな話されるとなんだか…
「え?悪いん自分(欧米諸国側)やん?」
授業の要旨を読んで違和感を感じる人、最後の主張に力強く納得できる人、たぶんそういう人が日本には多いのではないかなと思います、たぶん。
文化的な面で考えると、日本自体が歴史観の教育自体が欧米諸国に比べてより、植民地時代などについてはフラットだからだと思いますが。
歴史観の教育が日本と欧米諸国では明らかに違うのだろうという記述は他にもあります。
思い出されるのは一番最初の授業。
早めに教室につき、もちろん一番前の席を確保して、始まるのを今か今かと待ちながら、そしてわくわくで胸をはずませながら臨んだ初めての授業でした。その初めての授業で、教授は平和構築の成り立ちについて、このように言い放ちました。
「今日、グローバル化の影響により、破綻国家から発せられる脅威は国内や近隣諸国にとどめておくことができず、テロや疫病などの形で我々の世界の平和と安全も脅かすようになった。我々が多大なコストを平和構築に払うのはこのためである。」
この、平和構築という学問の根底に通ずる大前提は、”世界で一番困っている人のために働く”というモットーをもってイギリスまできてみた私にとっては、悲しい衝撃でした。
安全保障専攻の読者がいたら笑うかもしれませんが、人が理不尽に死んでいくのがおかしいから平和構築しましょうって、ほかの学生だってそんなシンプルな理由で平和構築を学びに来ていると思っていたのです。しかし、蓋を開けてみれば、クラスメイトのほとんどは私の属する"Peacebuilding and Conflict Prevention”コースではなく、”Defence, Development, Diplomacy”コースに属しており、防衛省やNATO、軍隊などのキャリアを目指す、もしくはバックグラウンドを持つ学生がほとんどでした。
「今日の安全保障のためには、軍事的アプローチだけではなく政治、経済、司法など包括的な取り組みが必要だからね」
と語るアメリカ出身の学生もいましたが、結局自国の安全のための平和構築であって途上国で誰かが死んでいくことは第一義的な理由ではないようでした。
授業の初日から、プログラムの根底に通ずる価値観に対して失望してしまった一方、自分がどうしようもなく考えの甘い場違いな存在のような気がして、なんとも言えない沈んだ気持ちでした。
ちょっと衝撃的じゃないですか?
自分は日本に居ながらにしてカルチャーショックを引き起こすレベルの価値観の違いに衝撃を受けていました。
個人的にこの記事を書いてくれた方には心の奥底から感謝をしているんですが、要は欧米諸国やアメリカとはこういう認識の差があるということです。
翻って日本。
平和であるという状態を体感的に理解し、概念として分かっている。
歴史認識について、欧米よりはフラットに発展途上国を眺めている。
誰かを助けたいという無邪気な気持ちで世界平和のために頑張る。
ここまでは精神的な面で、欧米諸国より日本の方が平和に近いという意味合いです。
そして忘れてはならないのは、世界2,3位の経済大国である。
金があるので、うまく運用すれば世界に巨大なうねりを生み出すことができる。
そう、日本っていうのは精神面で一番平和について理解していて、でも理解しているだけじゃなくて、それを実現しうるに足る経済の強さも持っている。
現段階ではやはり金を持っている奴こそが正義みたいなシステムが、「平和」が実現されている国々では運用されていますからね。
理念ではなく金で勝つしかない。
そして、精神面での平和の理解と尊重を理念にまで落とし込めて、金で勝てるポテンシャルを持っているのは、日本だけなんじゃね? という説です。
だから、僕は正直日本に相当期待しています。
僕自身も平和に携わりたいと思っています。
皆さんもどうですか?
面白そうだと思ったら、やってみましょうよ。
理念で、どこよりも平和に近い、この日本で。
以上でオリンピックの連載をいったん終了しますー。
次回は、オリンピックについてなんか文句ばっかり言っててただただ申し訳ないので、提案を出します(前回も書きましたが僕の熱意がそっちにまだ向いていないので実行はしないです、すみません><)。